自分の本音を言うと兄に殴られた。

自分のありのままの気持ちを言葉にしたり、行動にしたりすると、「うざい」と言われた。

「調子に乗るな」と言われて、小さい頃から兄には殴られ続けた。

 

自分の本音って、人を不快にさせてしまうんだと気づいた。

 

ありのままに生きているだけなのに、妬まれた。

明らかな邪魔もされた。

理不尽な仕打ちを受けた。

 

なんで?

なんでそんなことするの?

なんで殴るの?

痛い、やめてと言っているのに、なんで笑いながら殴り続けるの?

 

悔しくて、ムカついて、悲しくて、どうしようもなかった。

 

でも、やり返したらもっとやられるだけ。

言い返してももっとやられるだけ。

 

結局自分の本音は押し殺して、自分の気持は無理やり抑え込んで、相手に屈して愛想笑いしてでも機嫌をとるしかなかった。

 

 

「上手く生きる」

 

 

それしかできなかった。

 

 

そうするしか、やりきれない感情から目を背ける術は見つけられなかった。

 

兄という、どう頑張っても抗えない存在に対して、自分は腹の中の感情に蓋をしてひたすら嘘をついて気を遣うしか出来なかった。

 

泣くしかなかった。

 

同じ痛みを味わわせたかった。

 

「上手ーく相手の機嫌とって話合わしときゃなんとかなる」

 

だから深いつながりが出来なかった。

 

自分自身が薄っぺらいから、相手も信頼なんかしてくれないし、本当の心は見せてくれなかった。

 

自分の本音は人を傷つけるし、人の反感を買うし、人の嫉妬心をくすぐることが多いから。

 

だから、本音をそのまま言うのはいけないことのように思っていたときもあった。

 

 

そして、それを隠すように、見ないように、あえて「自分勝手な振る舞いをするキャラ」を演じている時期もあった。

 

そうして「本当の自分」というものがよくわからなくなっていってしまった。

 

「ありのままの自分」ってどんなだったか忘れてしまった。

 

行動する前に、発言する前に、頭の中で「これを言ったら相手はどんな反応をするのだろうか」と思考してから発言することがほとんど。

それは必ずしも悪いことではないのだろうけど、「いちいちそんなに重く考えてたら疲れちゃうよ?」なんていうふうなことを言われるのも少し傷つく。

かといって、相手に過度に気を遣わせたくもない。。

 

そして、「自分ほんとめんどくせ。」

自己否定が始まる。

 

「みんなはそんな深く考えてない。」

「いちいち傷ついてたらやってられない。」

そんな事言われたら自分がダサいのではないかって、自信が無くなる。

 

かと思ったら自信ある自分を演じようと頑張っちゃう時もある。

 

ぶれっぶれ。

自分というものがなんのかを常に探っているような状態な気がする。

 

いろんな自分を試しているかのような毎日。

 

「これが自分!」っていうのがよくわからない。

 

たまに「これだ!」って納得いったと思ったら、しばらく経つと全然違う価値観になってたりもする。

 

 

 

 

よくわからん。

けど、やっぱりこれが自分なのかな。

 

常に揺れてて、常に他人の思考を予想したり、常に自分の思考を観察したり、常に頭の中の会話が止まらない。

 

朝起きてから寝るまでずっっっと思考が止まらない。

 

でも、これは悪いことではないのかな。

そう思いたい。

 

「自分」とはなんなのか。

 

それを探し続けるのが「人生」なのかな。

 

 

うん、わかんない。おやすみなさい。

 

 

 

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