ムカつく上司と裏切った母に謝ってみたら人生に奇跡が起きた。

 

前回の記事ではムカつくオッサン上司に反抗してしまったこと・母に裏切られ暴言をぶつけたことなどを書きました。

 

それから少し時間が経ち、冷静になって色々考える時間がありました。

 

かなり反省しました。

そして、その上司と再会した時、勝手に体が動いて謝罪していました。

 

「この前は生意気な態度をとってしまって、本当にすみませんでした。反省してます。今日はよろしくおねがいします。」と。

 

形式的な言葉ではなく、結構心の底から反省して言葉が出ました。

 

その上司も、100%悪人なわけではないし、仕事に対しては真面目で頑張っているからこそ、年下の自分が生意気な態度をとってしまったのは確かだったことを、素直に反省できたんです。

 

反抗してしまった日はすごく感情が高ぶって周りが見えなくなっていたし、いろんな個人的な事情にストレスを抱えていたことも原因の一つだったと思います。

 

普段ならスルーできるところを、その日はつい反抗して感情を抑えられなかったんだと思います。

 

謝ってみると意外と上司のオッサンもあまり突っかかってこなくなり、特に衝突も無く仕事に集中できました。

 

そして、あの時ありのままに感情をむき出してキレたことにより、その上司もかなり面食らっていたようで、自分に対してすごく対応が変わっていました。

自分の分も少し仕事を頑張ってくれたり、すごく申し訳なく思ったし、素直に感謝できました。

 

そして、前の記事で書いた母への暴言

これに対しても、母に謝罪しました。

 

さすがに言い過ぎたと。

 

本音でもあったので、後悔はしていませんが、言い過ぎたので悪いと反省しています。

 

なので、素直に謝りました。

バカかよって思いますが、これが自分のありのままなんだと思います。

 

感情を抑えずに言葉をぶつけてしまうこと。

確かにのちのち後悔したりしますが、これは相手にも必ず影響を与える行動になっているはずです。

 

それは、なにより「本心」だからだと思います。

 

言い過ぎだったとしても、後先考えないその場の勢いだったとしても、それは嘘ではなく本音だったのなら、相手になにか響くことは絶対あるんだと思います。

 

その結果消えたくなるほど後悔するのがいつものオチではあるんですが、笑

でもいつか「あの時本音をぶつけてよかった」って思えるのは、そういうむき出しの本音なのだと思うんです。

 

相手を思いやり、気を使い、言葉を選ぶことはもちろんすごく大事なことです。

でも、感情をどうしても抑えきれなくて発してしまう言葉っていうのは、必然的に言うように人生の計画として決まっているんではないかと思うほどです。

 

そういう複雑に決まった人間関係で人生を学ぶように決まっているのかも知れません!謎

 

 

 

そして、結局「争い」っていうのは、

いつも「お互いがお互いをよく知らない」ところから発生してしまうのではないかと思いました。

 

「知らない」っていうのは怖いことであり、不安になったりします。

それを隠すように「怒り」で自分を奮い立たせて自己防衛しようとしたのがその時の自分だったのだと思います。

 

父の行動によく似ているなって思いました。

父も、私が小さい頃から突発的に感情をむき出して相手を威嚇することがよくありました。

 

でも、内心の深層のところでは、それはすごく「気が弱い」ことの証明だったんですよね。

 

気が弱いまま、やられるがまま、黙ったまま。

それだと相手につけ入られる隙を与えてしまうから。

 

その証拠に、以前父方の祖母に聞いた話で、

父が小学生の頃、悪ガキにいじめられたりちょっかいを出されたりしたことがあったというのを聞きました。

 

その時から以後、父も過去の私と同様に「偽りの自分」で弱さに蓋をし強かに生きてきたのでしょうね。

 

「やられる前にやれ」

そうやって自分を守らないと、自分が攻撃されやすい性格なのが無意識にでも相手に気づかれてしまうからです。

 

そして祖母も「男ならなんでも負けるな、勝て!」と教育してきたと言っていました。

 

 

私もありのままの自分を出すと、小学生の頃から周りにやたら突っかかってくるやつが出てきました。

それからずっと自分を強い性格に武装して、偽って強かに生きてきたつもりでした。

 

学校っていう一つの社会のなかでは、バカにしたりからかったりして自分の位置を上げようとする子どもがたくさんいますよね。

 

その中で生き残ろうと自分を騙している男子はかなりいたと思いますし、(女子のほうがもっとめんどくさいかもしれません)そうやってそのまま子どもたちが大人になり、上辺だけの関係で裏では悪口を言い合って疑い合ったり、パワハラや厳しい上下関係を強要する企業の闇に繋がっているのかななんて思ったり。。

 

話がごちゃごちゃになりましたけど、、

 

最近は少しずつ「言わなくてもいいことを言わない」という行動ができるようになってきた気がします。

 

もちろん上司に反抗したときのように、感情を抑えられなくなるときもあるのですが、今までの私は、思ったことをすぐに何も考えずに口から出してしまうような男でした。

 

別にそれは悪いことばかりではないのですが、これによって今までいろんな人を傷つけたり、いらない争いや妬み嫉みや誤解を生んでいたように思えます。

 

でも最近は少しずつですが、「これって言わなくてもいいことなんじゃないか?」って踏みとどまることができたり、「これを言った所で相手の嫉妬心に繋がるかもしれないな」とか。

 

今までは自分が優位に立ちたいからとか、自慢に思われるようなことを言ってしまったりとか、自分ではそんなつもりないけど相手には嫌味に思われてしまうようなこととか、

そういう発言を後先考えずに口から吐き出さないと気がすまない私でした。

 

でもそれが最近はすこしずつ踏みとどまれるようになってきた気がします。

 

ありのままを出しすぎると、嫉妬されることが多いんです。

嫌味に思われることが多いんです。

自慢だと思われることが多いです。

 

家庭内での小さいときから、それは兄からの暴力でずっと押さえつけられてきました。

 

ありのままに発言すると、すぐに殴られて「調子こくな」とか「きもい」とか「うざい」とか。

 

兄からすると、親の評価を気にせずにありのままに何も考えずに自由に生きている幼い弟が、羨ましくて妬ましくて仕方が無かったのだと思います。

 

「こいつがいなきゃ自分が末っ子で可愛がられていたのに。」

そう思っていたに違いありません。

 

だから、兄弟の昔の写真を見ても、兄はどこか納得のいかないようなもどかしいような表情をしているのが多いです。

対して末っ子の自分は本当に何も気にせずに自由に写っているように見えます。

 

そういう部分が気に食わず、腹立たしかったんだと思います。

「俺はこんなに嫌な想いをしているのに、お前だけチヤホヤされて、末っ子で小さいからみんなに可愛がられて、ムカつく!」

 

そういう思いで弟である自分を毎日のように殴ることで自分の感情を抑えようとしていたのだと思います。

 

今でこそ冷静に話せることですが、当時の殴られていた自分は、本気で兄を殺してやりたいと何度思ったか数え切れませんし、どうあがいても絶対に逆らえない存在である兄のことが、憎くて憎くて仕方がありませんでした。

 

あの屈辱感とか、無力感とか、敗北感とか、、

今でも思い出すとやりきれない気持ちが蘇ります。

 

そして、家庭内で色んな「自分」を押さえつけられていた分、学校生活では人見知りではあったものの慣れるとすごく自分を出してありのままに生きれていたような気がします。

 

それでも突っかかられることはよくありましたが、それはいつも初対面だったり、「お互いがお互いをまだよく知らない」という状況の時ばかりでした。

 

ある程度一緒に過ごすと、すぐに仲良くなったり意気投合することが多かったです。

 

 

結局何がいいたかったかって、

相手が自分を攻撃してくる時や、攻撃されたと思ってしまう時っていうのは、

いつも自分自身を鏡として映し出しているのではないかなって、思いました。

 

自分が相手を無意識に威嚇していたり、見下していたり、信用していなかったり、そういうのが相手に伝わっているから、相手も鏡のようにその通りの反応で接してくることが多いのかなって。

 

無条件に攻撃されたと思ってしまう時であっても、自分の中のどこかの一面が相手の鏡に反射するようにして自分に返って来ていることなのかなって思いました。

 

よくわかりませんけど!笑

 

 

でも、ムカついて反抗してしまった上司に「ごめん」と心から言ったことで、相手も「自分も悪かった」とう反応をしてくれたように。

相手に「この野郎が」という態度を送っていたら、相手も「何だこの野郎」という反応を返してきますよね。笑

 

「ありがとう」って言われるとめちゃくちゃ嬉しいし、喧嘩したあとに「この前はごめん」って言われるとすごく自分も申し訳ないって思いませんか。

 

すぐ調子こいて驕ってしまう自分のクセを認識できつつあるので、少しずつそのクセを意識しながら謙虚に、かつ一つ一つの仕事に真剣に日々進んでいきたいと思いました!

 

今日という日は今日しかないし、

今日食べたものも今日しか感じられない味だったと思うし、

体調によっても、

自分の考え方によっても、

起きた時間によっても、

気温や季節によっても、

年齢によっても。

 

絶対同じ今日なんて帰ってこないはずですよね。

 

「コイツめちゃくちゃ面倒くさいやつだな」って思われそうですが、これが自分の今の思考なんだから仕方ない。。笑

 

 

結局、ほんとになにが言いたかったかというと、、

 

「今」っていう瞬間は、「今」しかない。

 

ってことです。

 

 

またまたありふれた当たり前な言葉のように感じますけど、

でも「今」を生きるっていうのは、すっげーことだと想います!

 

 

うざいことも、

悲しいことも、

寂しいことも、

辛いことも、

楽しいことも、

嬉しいことも、

 

全部が「今」というかけがえのない瞬間であり、その繰り返しが「人生」なんだなと。

 

 

当たり前すぎるようなことしか書いてませんけど、「当たり前」って「奇跡」ですよね。

 

歩けるのも奇跡だし。

美味しいもの食えるのも奇跡だし。

好きな人と話せるってのも奇跡だし。

今日たまたま会えた人っていうのも奇跡だし。

ムカつく上司とバトる日々も奇跡だし。笑

 

 

死んだ婆ちゃんに会いたくなるのも、生きていることがどれほど奇跡かっていうのの証拠だし。

 

愛猫との思い出や幸せな気持ちが、まさに昨日のことのように鮮明に思い出せるのも奇跡だし、忘れてしまうということこそも奇跡だし。

 

 

変な話しますけど、

あなたが今この文章を読んでくれているということも、私にとってはめっっっっっっちゃくちゃ奇跡です。

 

宇宙の中の、地球という星の、日本という国の、インターネットという膨大な情報の中の、私という一人の男が書いたこの文章を、今読んでくれているそこのあなたへ!

 

 

読んでくれて、来てくれて、本当にありがとう!!!

 

 

 

ありがとうって言われると嬉しくなりませんか?

 

バカにされてもいいから。

こういうことをマジになって言っちゃうのが、「自分のありのままな一面」だと思います。

 

だからこういうのはある人からは「きもい」とか「くさい言葉」とか「かっこつけ」とか「偽善」とか言われるかもしれません。

 

 

でも、あなたが今少しでも嬉しくなったのなら、この文章を書いた意味が超ありました!

これってかなり奇跡ですよね?大げさですか?大げさでいい!笑

 

 

 

人に喜んでもらうのが、何よりの幸せですね。

 

 

明日も「なんてことない奇跡な日常」をありのままで精一杯一所懸命に泥臭く進んでやろうと想います。

 

待ってろ「奇跡の明日」。

 

 

 

以上、闇夜の導き人進太郎でした!

自己満で中二病な記事を読んでくれてありがとうございました!中二病バンザイ!!(泣)

 

 

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