どんな自分もあっていい。なりたくない自分よりなりたい自分を選ぶ生き方

余裕がなくなると、感謝の気持ちを忘れがちになってしまいませんか?

 

日々の生活が当たり前になってしまうと、周りの人への感謝が薄れてしまって、つい感情が荒ぶってしまったり、八つ当たりをしてしまったり、ぶつかり合って傷付けあってしまったり、、

 

でも、そういうぶつかりがあったからこそ見えることもあります。

雨降って地固まるでしたっけ?

そんな感じで色々あっての人生だと想います。

 

だから人生には正解なんてないし、どうやって生きて、どうやってひとと関わっていくかなんてのも70億人いたら70億通りあって当たり前ですよね。

 

でも、みんな違うからこそ、「違い」で差別や区別や隔離なんてせずに、なるべく愛をもって、愛を見出して、「他」を尊重しようとする気持ちや心意気がとても大事だと想います。

 

生きていれば嫌いなひともムカつく野郎も現れますよね。笑

当たり前ですがそれも自分とは違う人間なので仕方のないことです。

 

でも、それと無理に戦うも、戦いながらお互いが成長するのも、全部自由です。

 

戦う時間から離れていって、愛で「他」を尊重する時間を増やしていけるのも、自分の行動や考え方次第です。。

 

だから、とりあえずどんな人であっても、まずは信じようとする姿勢は大事にしたいと私は想います。

 

裏切られることもあるでしょう。

それで失望する日もあるでしょう。

闇に飲み込まれそうになる日もあるでしょう。

人間なんてみんなクソ野郎しかいないんだ、と自暴自棄になることもあるでしょう。笑

 

でも、なんど裏切られても、「愛を大事にして生きる」という想いを諦めなければ、可能性が0になることはないはずです。

 

諦めれば0でも、諦めないなら可能性はなくなりません。

 

世の中、お金が無ければ普通の社会では生きていけません。

完全な仙人にでもならなければ、お金はどうしても必要になります。

いくら綺麗事や御託を並べようと、結局はお金が無ければ何も出来なくなるのが現代社会の構造です。

 

でも、お金も大事だけど、それだけが全てでは決してないです。

最低限のお金は確保しつつ、誰かに自分らしい愛を拡げる。

それが生きている意味になり、「愛」を大事にする生き様になるはずです。

 

他を蹴落とし、欺き、「貨幣」という「偽りの価値」に踊らされる生き様は、本当に人間らしい生き方とは私は思えません。

かといってどうにもできないこともあるし、、、のループですが、笑

 

でも、本当に少しでも良いから、「他を尊重しようとする姿勢」が、自分以外の誰かの心に「愛」を届けることに繋がります。

 

それはやはり自分自身が諦めない限りは、ぜったいに可能性は0になりません。

常に他人のために生きるのは辛くても、まず自分自身が「心地いい」と思えるような「幸せ」を感じることで、やがて自分以外の周りのひとへ、その心地いい気持ちが伝わっていき、また次のひとへ、そのまた次の人へ、と拡がっていくのだと想います。

 

余裕が無い時は余裕が無くていい。

無理したくないなら無理しなくていい。

「心地いい方へ行きたい」

ただそれだけで十分だと想います。

 

ワクワクするほうをなるべく選ぶ。

不安っも弱さも悲しみも憎しみも、全部否定せずにありのままの自分の一部としてあっていい。

 

自分の考えを文字にするというこの瞬間だけでも、自分が生きている意味になっているのかもしれません。

 

お金もほしい!

誰かに必要とされたい!

誰かに頼りたい!

愛されたい!

愛したい!

幸せになりたい!

 

したくないことより、したいこと。

なりたくない自分より、なりたい自分。

 

みんなちがってみんないい!

 

お読みいただきまして、ありがとうございました!

 

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

ページ上部へ戻る