不安でいい暗くていい内気でいい頑張らなくていい。ありのままでいい。

不安だからこそ、とにかく書く。

どんなに醜い自分でも、それをとりあえず吐き出してみる。

 

自分が嫌に思うことでも、誰かに共感されるかもしれない。

だからこそ、それを信じてどんな自分でも、まず発信してみる。

 

どんなに短くても、未完成でもいいから、とにかく投稿ボタンを押す。

 

無理したくない。

無理して明るくならなきゃ生きていけない社会なんて、こっちから願い下げだ。

 

無理で支えられてる社会なんて、ぶっこわしたい。

 

無理を越えて、どうにもできなくなってしまった人は、死ぬしかないのか?

誰にも頼れず、誰にも相談できず、死んでいくしかないのか?

 

「贅沢できる地位権力の争奪戦」から漏れちまった人は、もう死ぬしかないのか?

それが本当に「仕方ない」ことなのか?

 

年々絶えることのない自殺者たちの命は、ただの「弱い人間だった」なんて言葉で済まされるのが本当に正常な人間社会なのか?

 

資本主義の底辺に埋もれた人たちは、「負け組」だからしょうがないのか?

そんな考え方に意図的に洗脳された一般人のその「強いことがすべて」という風潮こそが、「支配のシステムを守ってること」に他ならないんじゃないか?

 

とにかくそんな残酷な世の中なんて俺はクソくらえだよ。

 

そんな上っ面だけのクソみたいな薄っぺらい社会なんてクソだ。

ふざけんな。

 

お金が全てなのか?

大人になるってのは、「お金」に縛られることなのか?

「お金」のために生きていくしかないのか?

 

お金のためなら、嘘ついて奪い合ってでも、幸せを勝ち取るのが正義なのか?

本当の「無条件の愛」よりも、明日も自分だけが生きるための「利益」こそがすべてなのか??

 

腐ってんだろ。

 

「みんなの幸せ」なんかよりも、「自分だけの贅沢」を優先するのがこの世界のトップの考え方。

自分の贅沢が邪魔されようものなら、手段を選ばずに平気で抹殺するような腐った奴ら。

 

核も人工地震も遺伝子操作もメディアコントロールも、全部がその一握りの富のために、たったその一握りの人間たちのために。。

 

東日本大震災が「計画された人工地震」だったと、もし国民全員が知ったらどうなる?

証拠はすでにたくさんあるのに、なぜ「自然災害」とされている?

「証拠をいち早く発信したものが実際に殺されている」という事実は、闇に葬りさられたままで本当にいいのか?

 

この世の中のありとあらゆる全部が嘘だぞ?

全てが「富」のための仕組みでしかないんだぞ?

 

ふざけんなほんと。

 

ばかみてえじゃねーかよ。

一般人はまるで羊じゃねーかよ。家畜じゃねーかよ。

「考えるな。働け。」ってか?

 

愛に飢えた羊たちが今日も互いを傷付けあって、それでも生きていくためには「仕方ない」からって、自分を強く保って、自分を強く偽って、無理して、我慢して、また明日も、明後日も、一年、二年、老後まで。。。

 

やってらんねーよな。

世の中の全部が嘘だったってことに気がついた人は、もう呆れてるはずだ。

 

でも今に始まっったことでもないし、歴史自体がその繰り返しで出来てる。

でもやっと、それを自分たちの手で変えられる時代が来たのかもしれない。

 

もちろん誰も悪くない。

みんながそうしなきゃ生きれないし、大きなシステムや仕組みを変えない限りは、どんなに喚いたところで何も変わらない。

 

腐った世界に嘆いていても何も始まらないし、

クソみたいな支配者に怒ってても誰も助けてくれない。

大半が洗脳の真っ只中だから、「東日本地震は人工地震だった!」なんて言うようなやつは「変人」扱いで淘汰される。

 

本当はそのレッテル貼りの大衆心理こそが、支配システムの防御策になっているなんて、大衆には普通知るよしもない。

その証拠が「減らない自殺者数」だ。

どれだけ上っ面で「幸せ」や「自由」だと思いこんでいても、その裏側の見えない部分では、たしかに自らの手で人生を終わらせている人たちが腐るほど存在している。戦争があった頃よりも、実際の裏側の部分は今のほうが悲惨だった。

 

見て見ぬふりして、明日も「上辺だけの幸せ」を求めて生きていく。

なにも考えずに、深いところは考えずに、世の中の醜い部分は「見るな。考えるな。」

 

みんなと同じじゃなきゃいけないという「作られた常識」を叩き込まれる。

社会に従順になるように、「弱さ」「暗さ」「内気」は邪魔者扱いで、「そんな弱いやつは社会ではやっていけない」?

そうやって強くなるしかなくて、やりたくもないことをやるのが常識だと想わされて、無理した自分で生きていって、

いつしか本当の自分の心に蓋をした者で溢れかえっている社会・・・。

 

 

こんなこと言ってても、結局はそのシステムの上で生きていかなきゃならないし、どうしても「お金」がなければ生活できないのが日本だ。

 

ちっぽけな無力な俺に出来ることなんて、本当にごく小さなことかもしれない。

でも、だからこそ、あえてこのおかしな仕組みの上で、本当に小さなところから変えていくしかないのかもしれない。

 

 

いや、本当はなにも変える必要なんてなく、ただ新しい未来を作っていくだけなような気がしてきた。

 

腐った仕組みにうんざりしたなら、自分がなりたい未来へ進めばいい。

自分が生きたい道を進めばいい。

 

自分がただ見たい景色を見ていけばいい。

自分という人間は1人だけなのだから、自分という考え方は、唯一無二なのだから、

自分が心地良いと想える場所で、心地いいと想える人とだけ、心地いいと想えるような時間を創り上げていけばいい。

 

大きな変革を望めないのなら、一歩ずつでも小さな幸せを生み出して行けばいい。

 

他人の価値観に依存して振り回されて、本当の自分を見失うのは悲しい。

大事のなのは、いつだって、自分自身の自分軸の「意志」。

 

「こうあるべき。」

「こうしなきゃいけない。」

「それが社会だから。」

 

そんな考えは全部ふっ飛ばして、ひたすら自分に正直に生きていけばいい。

 

でも、どこかで折り合いも付けなきゃ、それは「無謀」になってしまうから、

バランスも大事に、少しずつ、一歩ずつでいいから、毎日ちょっとの進歩を自分なりに積み重ねていけばいい。

 

そうやってこれまでもやってきたはずだった。

ブレても、自分のありのままの気持ちを大事にする気持ちが大事だった。

 

大事なのはいつだって、自分の内側だった。

外側に答えを求めすぎるのは、もうやめよう。

 

自分自身を幸せにしてあげられないやつが、自分以外の人を幸せになんかできるはずない。

 

まずは自分が幸せになってしまえば、周りのひとには自然に愛を拡げられるはずだ。

 

その「愛」の考え方でできているのが「未来型」なら、それを一人でも多くの人へ広げることこそが、自分に今からでもできることなはずだ。

 

無理して頑張るのが好きな人はそのままでいい。

今の社会の仕組みでもやっていける人もそのままで素晴らしい。

 

でも、我慢や無理を重ねすぎて、どうにもならなくなってしまった人や、もう自分を偽ってまで無理して生きて行きたくないという人にとっては、逃げ道がなければ死ぬしかないんだ。

 

だからこそ、「未来型」が最後の砦であり、そういう人の「生きがい」にだってなるかもしれない。

 

 

とにかく焦らずに、一日一歩ずつでいいから、ありのままの自分で進もう。

 

お読み頂いてありがとうございました。

 

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

ページ上部へ戻る