どうにもならないほどの不調こそが、自分を強くする。

「不調」は「成長の種」

ここ何週間か、ずっと不調でした。

なにをしても上手く行かなくて、どんな気分転換をしてもモヤモヤした気持ちでした。

 

父親の嫌な部分が、いつか自分にも出てくるんじゃないかと想えば想うほど、もう本当に自己否定してしまっていました。

 

自分が父親の血を引いていることを心底後悔したくなっていました。

そうやって一回嫌な部分を見ようとすると、もう止まらなくなって、自分でもどうしようもできないくらい自暴自棄になって、何も考えたくなくなって、動く気すら湧いてこなくて、ここ数日はずっっと現実逃避していました。

 

でも、この不調も、時間を掛けて流れに身を任せていたら、自然と原因がわかってきて、冷静になることができました。

 

想えば、2018年4月の中盤に、母親にこのブログをやっていることを打ち明けてから、調子が狂った気がします。

ありのままの自分を出せなくなり、唯一の心のはけ口だったこのブログに記事を書きにくくなっていました。

 

母も半年前くらいに仕事を辞めてから収入源も無く、それでいてめちゃくちゃ仲の悪い父の仕事だよりなので、言いたいことも言えず、嫌いな夫のために家事もしなくてはいけない毎日に、すごくストレスを抱えているようです。

 

そんな母もブログを始めたらいいのに、という、軽い気持ちで私のブログを紹介してしまいました。

いや、軽い気持ちではなく、自分としてはかなりの覚悟で、自分のありのままのこのブログを見せました。

 

それがなんとなく、「母に見られている」ということが心のブロックになって、どうしても素が出せなくなっていたのだと想います。

 

だから、もう見ないでくれと頼みました。

 

想えば以前親友とも同じくだりがありました。

親友に私が何をやっているのか知りたいと言われ、結果、自分のブログを見せたら見せたで素が出せなくなってしまって、もう見ないでくれと頼みました。

 

自分から誰かに見せるのは、もう今後は辞めておこうと想いました。

母には自分から勝手に見せたからこそ、それが逆にプレッシャーになってしまったんだと想うんです。

 

自然に辿り着いてくれた人や、検索して悩みを解決したいと想っているひとへ向けたブログだったはずなのに、自分からターゲットを変えることをして、目的がよくわからないブログになってしまっていたような気がします。

 

でも、これも全部は無駄ではないと改めて想いました。

 

長い長い不調の中で、ずっと自分のモヤモヤした感情を闘っていました。

どうしたら忘れられるか、どうしたらポジティブになれるか。

そんなことをずっと考えていました。

 

でも、それはやっぱり自分のありのままの気持ちにフタをする行為なんですよね。

見たくない部分を隠して、繕って、無理して良い自分だけを見せて歩いていく生き方でした。

 

悩みや苦しみや、痛みや悲しみがあるからこそ、自分の文章はありのままなんだと改めて気が付きました。

 

千聖さん(ブログの先生)にサポートしてもらっているのに、それを半ば無視するような形でずっと現実逃避していました。

千聖さんや未来型の人たちに良いと想ってもらいたいとか、千聖さんや竹川さんに褒めてもらいたいとか、、

なんかそういうことにばかりに依存して、本当に自分がやりたいことを見失っていたのかもしれません。

 

でも、自分の魅力はそんな取り繕った先にはないとはわかっていました。

 

わかっていても、目的がごちゃごちゃになって、ブレブレで、なにをしたいのか自分でも本当によくわからなくなっていました。

「記事書かなきゃ書かなきゃ・・・」みたいな焦りもあって、結局気張りすぎて書けなくなって、また現実逃避して。

その繰り返しでした。

 

でも本当に、不調こそが成長の種だと想いました。

 

嫌なことがあるからこそ、ゆっくりでも自分の現状を変えていきたいと想えるし、現状に満足していないからこそ、なりたい自分に向かって進むことができると想いました。

 

それと、あたりまえなことへの感謝が薄れて、驕って傲慢になっていました。

調子こいてました。

 

以前は歩くことも、座っているのも寝ているのも苦痛だったのに、今はいつの間にか段々走れるまでになっています。

前の自分からは想像できないくらいに、確実に進歩しているのに、理想だけが独り歩きして、ないものねだりになってしまっていました。

 

汚肌だって、前は郵便や宅配すらも恐怖で仕方がなかったくらいだったのに、今では当たり前になんの抵抗もなく対応しています。

外を歩くということさえも人の目が気になりすぎて、一苦労で、とてもストレスだったのに、今はそれほどストレス無く自由に走ることができるまでになっています。

 

食事だって、ちょっと前までは、普通の大福を食ったくらいで「超奇跡」だと言ってたほどでした。笑

 

でも、全部が当たり前ではなかったはずです。

その時の自分の気持も、今の驕った自分の気持さえも、全部があたりまえではなく、奇跡だと想います。

 

この地球に肉体をもって、今生きているということだけで、本当はめちゃくちゃな奇跡ですよね。

 

「当たり前」なんていう基準も、千人いたら千通りの解釈が存在するはずです。

 

肌に自信がない人からしたら奇跡に想えることでも、肌が健康な人にとっては、ごく「当たり前」になることもありますよね。

ケガをして歩けないひとには、普通に走ることさえも奇跡ですが、バリバリの現役アスリートにとっては、それもごく「当たり前」なことですよね。。

 

だから、

他人と比べて自己否定し過ぎる必要はないんですよね。

 

大事なのは、やっぱり自分自身の本当のありのままの気持ちで、「当たり前なことというのは同時に奇跡でもある」ということですね。

親にいくら不満があろうと、両親の今までの苦労や見えない場所での努力、当たり前のように支えてくれいる現状には本当に感謝しかないです。

 

どんなことにも悪い部分も良い部分もあるからこそ、自分はどちらを大事にしていきたいかが重要ですよね。

 

飽き性で、調子乗りで、バカで不器用な自分ですが、それでも支えてくれている人を忘れてはいけない。

どんな瞬間も、本当は超奇跡。

 

本当にこういうくだりの繰り返しの毎日ですが、これこそが人生なんでしょうねー・・・泣

めんどくさいこともありますが、生きるというのは簡単じゃないからこそ面白いんだと想います。

 

だから、また泥臭く進みたいと想え始めました。

ださくても笑われてもバカにされてもいいから、ありのまま「今」の自分を一歩ずつ、マイペースにさらけ出して行きたいと想います。

 

お読み頂いて本当にありがとうございました。

 

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

ページ上部へ戻る