自分の嫌いな「なんで自分だけ」な所がいつか自分の長所になる日が来る?

今ある幸せに目を向けてみよう

「私の周りには、何も幸せが無い・・・。」

そう思ってしまう自分がいる。

 

「なんで自分だけこんなにつらいんだ。」

「なんで汚肌が全然よくならないんだ。」

「なんで自分だけ身体がこんなに痛いんだ。」

 

そんな思いでいっぱいになる日もある。

悩みに対して「怒り」でいっぱいになっている時は、

周りが見えなくなって、すべてがどうでも良くなって、自暴自棄になったりする。

人のせいにしたり、周りの環境や家族や友達のせいだと思ってしまうこともある。

 

「こんな場所にいるから俺は変われないんだ。」とか、

「この人と一緒にいるから変わることが出来ないんだ。」とか考える。

 

でも、そういう自分は、環境や周りの人間が変わっても、

ずっとそのままで、変われないんだと思う。

きっと、違う環境でもまた新たな言い訳や、だめな部分に目が行ってしまって、

また周りの環境や人のせいにしてしまうんだと思う。

 

要は、「外」の事象に依存してしまっている証拠だと思ったんだ。

外側を変えよう変えようと努力しても、内側にはちっとも響いてこないことが多い。

相手を変えようとすればするほど、期待がでかくなるから、

相手が結局変わらなかった時に、裏切られた気持ちになる。

そして、「怒り」を感じてしまう。

 

一旦、落ち着いて怒りに向き合ってみよう。

 

なんで自分は怒っているんだ?

なんでこんなに腹が立つんだ?

 

「自分が心を込めてアドバイスしたのに、

相手はすぐにそんなこと忘れて、また同じことを繰り返している。」

 

でも、そもそもその人を変えるのは自分の仕事なのか?

自分のことも100%愛せていないのに、周りのことが変えられるのか?

 

自分がその人を「だめな人」だと思っているから、

その人はその通りの人間に見えているんじゃないか?

その通りの行動をしてくれているんじゃないか?

 

だったら、その人の良いところはどこだ?

長所がただの一つもない、短所のみの人間なのだろうか?

 

そんな人間は、本来誰一人としていないはずだ。

 

だから、今その人を変えるのは私の役目ではないんだ。

私は私。他人は他人。

みんなそれぞれの考え方や生き方がある。

 

いままで歩んできた人生だって、一人一人全員違うんだから、

誰かと同じにしなきゃいけないなんて、おかしい話だったんだ。

 

これが正しいから、こうしなきゃいけないとか、

これは間違っているから、こうしてはいけないとか、

そんなものは本来存在しないんだ。

 

だから、私は私の人生を進もう。

自分自身の今ある環境に目を向けてみよう。

自分自身の今ある大切なものをもっと大切にしていこう。

自分自身が今やりたいことをただやろう。

自分自身が今いたい場所にいよう。

自分自身が今やるべきことをやろう。

 

 

家があること。

ご飯を食べられること。

歩けること。

走れること。

話せること。

触れられること。

見れること。

考えられること。

味わうこと。

悩めること。

恥ずかしがれること。

喜べること。

怒れること。

哀しめること。

楽しめること。

愛せること。

生きれるということ。

当たり前のことのようだけど、ほんとは全部すんげー奇跡だ。

一つでもなくなった時、初めてその奇跡が身に染みるんだ。

 

とにかく、今この瞬間に感じられる幸せに目を向けてみること。

当たり前に思えているものにこそ、感謝をしてみること。

 

そうすることで自分の「内」に向き合えて、

死ぬほど嫌いだった自分の短所も、

ゆっくり許していって、

ゆっくり愛していって、

ゆっくり自分を好きになっていく。

好きになることができたら、それはもう一生ブレない長所に変わるはずだ。

 

そして、いつのまにか「外」の景色も180°変わっていることに気付くんだろうな・・・

 

お読み頂いてありがとうございました。

 

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